流れる雲の如く のブログ

日々感じたことや思ったこと伝えたいことを発信します。

人は記録されることをとても恥ずかしいと感じる

 今朝は、友人が参加しているイベント(何かのワークショップ的な)に

顔を出すことにした。

 

そこは会社の敷地の中にあり、その前に会社のある部門に立ち寄った。

そこでは、ある問題で滞っていた懸案(トラブルで機械が動かない)があった。

 

自分が触っているうちに解消してしまった。

起こそうとした訳ではなく、起きてしまった感じ。

 

そのあとにイベント会場に向かう。

ただ時間的には終わってしまい、友人は見かけたものの

声をかけずにいた。

 

その後、一組の家族が居て、二、三歳のお子さんがいて

カメラを向けると撮られることに対して

泣いたり隠れたりを繰り返す。

 

初めのうちは、わからなかったのだけれども

少しづつ分かってきた、それは恥ずかしいということ。

 

人に見られることよりも、もっと嫌いなことは

「記録」されることで

「記憶」されることではないことだった。

 

形に残さないで覚えること 「憶」

形に残すこと 「録」

 

これは、朝起きる寸前に気づいた。

 

でも、このどちらがあるべき姿かは

まだわからない。